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除去手術

現在自分の左大腿骨は、金属(チタン)のボルトとプレートによって
骨折部が固定されています。

入院中にネットで少し調べたところ、そのボルトとプレートは
抜いても抜かなくてもいいという事だったので、
再手術のリスクを考えると抜かない方がいいと思い、
抜かない方向で考えていました。

しかしその後更に調べてみたところ、
「60歳以下の若い人なら抜いた方がいい」、
「体の中に異物が入っている訳だから除去した方がいい」、
「違和感が残る」、「冬場に痛む」、「ボルトが緩む恐れがある」、
「金属骨折する恐れがある」などの意見があり、
除去した方がいいのかなと思うようになってきました。
ちなみに除去手術は1年以上経過しないと出来ないそうです。

除去手術をすると数日程度の入院が必要で、
また、術後1ヶ月は激しい動きを控えなくてはいけないそうです。
ボルトが埋まっていた部分の穴が完全に無くなるには3年かかるそうです。
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外来診察

退院後、初めての診察&リハビリのため、相澤病院へ行ってきました。
まだ左足の踏ん張りが利かず車の運転には不安があるため、
母親に連れて行ってもらいました。

20日の退院後、初めて相澤病院へ行ったのですが、
1週間ちょっとの間ずっと滞在していた場所なので、
第2の我が家へ戻って来たような感覚でした。

病院ではレントゲン、診察、リハビリを行ったのですが、
予定では11:30からだった診察が、実際に呼ばれたのは13時過ぎで、
その後リハビリを行ってから食事をして、
病院には4時間近く居ました。

自分が心配をしていた骨折した部分のズレに関しては、
もうその心配はほとんどないそうなのだが、
あまり無理をすると関節部分の骨が潰れる恐れがあるというので、
まだもうしばらくはライブ観戦も控えた方が良さそうです。
松葉杖で長い距離を歩いたり、長時間立っていたりすると、
左脚に負担がかかってしまうので。
現に数百メートル歩くと左脚が張ってきてしまいます。


そういえば、今日の診察の時に抜糸の事を聞き忘れていたのですが、
恐らく使用した糸は使用せずにテープだけで固定してあったようです。
何回傷口を見ても糸らしきものが見えないので。
そのテープ(傷口に対し直角に10本程度貼ってあった)は術後4日目に
シャワーを浴びた際に数本剥がれかけ、
その後看護師がその剥がれかけた数本のテープを剥がしたのですが、
手術の傷口ってそんなに早くくっつくものなのだろうか?

手術翌日の早朝、手術した方の脚を動かす練習をしたのですが、
それが良くなかったのか、その後看護師が来た時に傷口から
大量に出血していることが確認されました。
傷口付近にあてていたタオルやシーツが赤く染まっていて驚きました。

入院生活

[入院2日目・3月14日]

手術翌日のこの日から早速リハビリが始まりました。
午前と午後の2回療法士の人が来て、20分くらいずつ行いました。
その中で松葉杖を使った歩行の練習も行い、
午後のリハビリが終わり、入院後初めて松葉杖を使って1人で
トイレなどへ行くことが許されました。

この日の23時頃、点滴の針が外され、
本当の意味での快適な入院生活はこの時から始まりました。


[入院3日目・3月15日]

午前中、突然今日中に部屋移動をすることを告げられ、
それから1時間も経たないうちに2人部屋から4人部屋に移動になりました。
今まで居た部屋は手術前後の患者用の部屋だったようです。


[入院4日目・3月16日]

数日前に書いて提出した食事の選択用紙の希望が反映され、
この日の朝食は入院後初めてのパン食でした。
しかもそのパンは、自分も何度か店へ買いに行ったことがある
松本城近くの有名店「小松」のパンだったのでテンションが上がりました!

この日のリハビリでは初めて階段の練習も行い、
この日の夜に階段を使って1階まで行き、病院内を散策しました。
ちなみに入院後に自分の足で4階から出たのはこの時が初めてでした。

また、この日から寝返りが打てるようになり、夜よく眠れるようになりました。
それから左脚の膝も大分曲がるようになってきて、
トイレの便座にスムーズに座れるようになってきました。


[入院5日目・3月17日]

前日に傷口の湿布を剥がされたことによりシャワーが解禁となり、
午前10時過ぎに入院後初めてシャワーを浴びました。

この日は朝と夕方に2回、病院のヘリポートへヘリでの救急搬送がありましたが、
音だけでヘリそのものは見えませんでした。

この日は音楽繋がりの仲間がお見舞いに来てくれました。
昼頃にSONICの卓郎さんとアルパカの和田ちゃん、うみちゃんの3人が、
午後にはテルコさんが来てくれました。


[入院6日目・3月18日]

片松葉杖での歩行が少し出来るようになりました。
リハビリではリハビリ室みたいな所へ連れて行かれ、
畳の上に座った状態から立ったり、浴槽に入ったり出たり出来るかの
テストみたいな事が行われ、問題なく出来たため、
動作面では退院OKの状態となりました。


[入院7日目・3月19日]

午前10時前から入院後2回目のシャワーを浴びました。
昼前には車椅子に乗って看護師に押され、
1階へ行ってレントゲンを撮りに行きました。
夕方にそのレントゲンの結果が担当医から説明され、
退院が許可されました。
早速親に連絡し、翌日の午前10時頃に迎えに来てもらう事になりました。


[入院8日目・3月20日]

有意義な(?)入院生活も最後となり、少し寂しい気持ちもありました。
10時前に両親が来て、退院手続などを済ませ、
7日半ぶりに外の空気を吸いました。
病院の帰りに会社に寄り、事務所で仕事復帰の時期の事などを話し、
ロッカーへ荷物を取りに行ったりしたのですが、
その時に上司が自分のためにドアを開けたり荷物を持ってくれたりして、
なんか申し訳なかったです。


そんな感じに人生初の入院を経験したのですが、入院中の気分はというと、
入院~手術前までは緊張と苦痛、
手術中~麻酔が切れるまでは苦痛が無くなったために気持ちいい、
麻酔が切れてから翌日の朝までは少し違和感があって少しだけ苦痛、
手術翌日の朝から夜(点滴が外されるまで)は苦痛まではいかないが
点滴の針が刺さっているために少し違和感が、
点滴の針が外されてからはかなり自由になって快適でした。

人生初の手術

業務課の課長代理の車に乗って病院に到着したのは12日の21時頃で、
車椅子に乗った状態で診察の順番が来るのを待ち、
最初の診察が終わってから十数分後にレントゲンを撮り、
その後はベッドに寝かされたまま待機部屋で1時間以上待たされ、
その間に会社の自分の所属する課の課長と課長代理と業務課の課長の3人が来て、
その後両親も来ました。

手術の説明等を聞いて、23時半頃にベッドごと病室へ。
ちなみに骨折している箇所の骨がズレる恐れがあることから、
起き上がってはいけなかったため、21時半頃にレントゲンを撮った後は
ずっとベッドで寝たきりの状態でした。
病室は2人部屋で、隣に他の患者が居ることに気付かず、
深夜にもかかわらず看護師に普通の声量で質問したりしていました。
この日の夜は、自分が重大な労災を起こしてしまったという罪悪感や、
翌日の手術に対する恐怖感により、30分ほどしか眠れませんでした。

13日午前9時過ぎに、今日の手術が15時から行われる事を告げられました。
そしてこの日の10時頃から手術開始までの約5時間の間、
ある事で物凄い苦痛を味わっていました。
その詳しい内容はここでは書けませんが、決して骨折箇所の痛みとかではありません。
痛み自体は左脚に力をかけたりしない限りは全くありませんでした。

途中で少し眠りましたが、その苦痛のためにそれほど眠れず、
何とか苦痛を乗り越えて手術の時間がやってきました。
4階の病室から2階の手術室へベッドごと移動し、
下半身麻酔を打ってから手術がスタート。
麻酔が効いてきてからは、今まで苦痛だったことが一気に楽になり、
何だか気持ち良くなってきました。
麻酔が効いているので手術している箇所の痛みも全くなく、
気持ち良くて途中で少し眠ってしまいました。
そんな中、ドリルで骨に穴を開ける音が一際響きました。
でもあの苦痛から解放された気持ち良さで、
その音もそれほど嫌には感じませんでした。

手術自体は約1時間ほどで終了。
手術前後の確認・準備作業なども含め、手術室には2時間弱居ました。

手術が終わって4時間くらい経った21時頃から徐々に麻酔が切れてきました。
麻酔が効いている間は足を動かそうとしても全く動かせない状態で変な感じでした。
手術終了から6時間後の23時にやっと飲食が許可されましたが、
別に腹も減っていなかったので、横になった状態でストローで水を少しだけ飲みました。
ちなみに12日の18時半過ぎに会社で夕食を食べて以来何も食べていなかったので、
この時点で丸1日以上何も食べてない事になります。

麻酔が完全に切れてからはまたある事で少し苦痛だったため(手術前ほどではないが)、
この日の夜も1時間ほどしか眠れませんでした。
そして朝5時半頃、看護師にあるものを予定よりも早く外してもらい、
車椅子でトイレに連れて行ってもらった後は苦痛が完全に無くなり、
とても快適になりました。

苦痛も完全に無くなり、さすがに腹が減ってきました。
そして2時間後の7時半過ぎ、2日前の夕食以来37時間ぶりに
食べ物を口にしました。

骨折→入院

3月12日の深夜から20日の午前中にかけての約7日半、
松本市の相澤病院に入院していました。
その経緯を簡単に説明します。


3月12日、この日は遅番勤務でした。
夕食を食べて少し休んでから自分の作業現場へ戻る途中の19時頃、
この時は動いていなかった他の現場を通って行くのですが、
稼働してないとあって電気は通行に最低限な分の蛍光灯しか点けられていませんでした。
しかしこの時、仕事の事で考え事をしていたこともあり、
薄暗く電気が点いている最短コースの通路ではなく、より暗い方へ無意識に足が向かっていました。
ちなみにこの後にやる事が沢山あった為、急がなくてはという気持ちがありました。

そして途中で「あれ?何でこんな遠回りしているんだ?急がなくちゃ!」と
走り出そうとすると、足元にあった製品や資材などを積むための空のパレット
(2段積み)につまづき、勢いよく転び、パレットの角の部分に
左脚外側の付け根付近を強打。
その後、歩いて自分の作業現場まで行こうとするが、
左脚に力をかけようとすると激痛が走り、歩けない状態でした。
近くを通りがかった人を呼び、回復を待ったが全く歩ける状態にならないため、
その場に会社の車椅子を持ってきてもらって会社の外に出て、
そこから病院に運んでもらいました。

力をかけない限りほとんど痛みは無かったため、自分ではせいぜい脱臼程度だと
思っていたのですが、検査の結果、左脚大腿骨頸部骨折と判明し、
骨がずれる恐れがあるために翌日に手術をすることを告げられました。
しかも骨折した部分を金属のプレートとボルトによって固定するというのです。


そんな訳で8泊7.5日の入院生活がスタートしました。

諏訪湖S.A&上諏訪DOORS

8日の土曜日は上諏訪ドアーズへザ・ブルテリアンズの企画を観に行ってきました。

上諏訪までは自宅から下道で40分ほどの距離ですが、
高速道路のサービスエリア好きの自分は諏訪湖S.Aへ行きたかったので、
あえて高速を使って行きました。

諏訪湖S.Aでは少し早い夕食を食べたのですが、
諏訪湖S.Aの上り線は数ヶ月前にリニューアルされて軽食コーナーが
複数店舗によるフードコート方式になっていて、
以前のスナックコーナーにあった「わかさぎ丼」のような地域の特色のある
メニューがほとんどなくて残念です。
ちなみに今回ここで食べたのは『野沢菜チャーハン』です。

その後、おぎのやの売店でチキンカツサンドと豚カツサンドを買って
車の中で食べました。
この2品は軽井沢駅などで駅弁として売られていて、
一度食べたことがあります。(その時も2つ一緒に買った)


諏訪I.Cで高速を降り、I.C近くのネットカフェで1時間半くらい
雑誌を読んだり仮眠を取ったりした後、上諏訪駅前の駐車場へ車を停めDOORSへ。
受付の所でブルテリアンズのベースのイノキチさんに声をかけられたのですが、
正直言うとその時はその人が誰か分かりませんでした。
ブルテリアンズとは一度だけ対バンしたことがあり、
ボーカルのジョーさんとはライブ会場で何度も会っていて知っているのですが、
他のメンバーの顔や名前はほとんど分かりませんでした。
でも恐らくその人はブルテリアンズのメンバーの人だと思って、
いかにも誰か分かったような受け答えで言葉を交わしました。
そしてこのイベントのトリで登場したブルテリアンズのライブを観て、
その人がベースの人だった事を知りました。

このイベントには5月5日のニイタカヤマ企画で対バンする
ベアーズマーキンも出演したのですが、
今までベースの小口さんとしか面識がありませんでしたが、
帰る時にボーカルの人(丸山さん?)と初めて挨拶程度に言葉を交わしました。
丸山さんは昨年12月のユーキ10周年記念ライブにニイタカヤマを観に
来て下さっていて、その事はツイッターのリツイートで知りました。
そして今回初めてお話で来て嬉しかったです。


上諏訪からの帰りも諏訪湖S.Aへ寄るためにあえて高速を使いました。
諏訪湖S.Aの下り線は単独店によるスナックコーナーなので、
上りと比べると地域の特色を生かしたメニューがあります。
その中でも山賊ラーメンとイワナ唐揚げ丼が気になったのですが、
それ以上に豚骨味噌ラーメンが食べたくなり、それを食べました。

女GAINER

1日の土曜日は仕事が終わってからモールホールへ『女GAINER』
のライブを観に行ってきました。
松本でのユーキライブを毎回のように観に来てくれるゆきさんが
ボーカルをやっているバンドで、今回初めてライブを観ました。

え!?自分のライブによく来てくれる人のライブに今まで行ったことが
無かったなんて酷くないかって?
ゆきさんがバンドをやっていると知ってからずっと観に行きたいとは
思っていたんですが、なかなかライブが無かったので、
ゆきさんがユーキライブに来てくれるようになって1年近くが経った
この時期になってしまったという訳です。

話は変わりますが、この日は松本でもう1つ観たいライブがあったのです。
こちらも自分にとって大切な音楽仲間であるザ・チャロッピーズの企画が
瓦レコードであったのです。
女GAINERの出番が終わったら瓦レコードに行こうとも考えていたのですが、
チャロッピーズの出番はトップという事で、自分が会社から駅前に直行し、
モールホールに着いた頃(19時過ぎ)には既に演奏を終えていたと思います。


話は戻って女GAINERのライブですが、ゆきさんの歌声を初めて聴けて嬉しかったです。
自分がイメージしていたよりも高音の綺麗な声で、
もっと聴いていたいと思いました。
楽器隊の皆さんもレベルが高くて、聴いていて心地良かったです。

女GAINER


女GAINERの出番が終わってからせめて顔を出すだけでもと思って
瓦レコードへ行こうとも思っていたのですが、
女GAINERの次に出たバンドにも知り合いの人がいた事と、
まだゆきさんに声もかけれてなかったため、
瓦レコードへ行くことを諦めました。
チャロッピーズの皆さん、ごめんなさい。

今回、自分にとって大切な仲間のライブが被ってしまって、
しかもどちらのバンドにとってもかなり久しぶりのライブで
どちらの会場にも行きたかったのですが、
まだ観たことが無かった事、ライブによく来てくれるという理由で、
ゆきさんのバンドの方を優先させていただきました。