ユーキ10年の歩み その2
[シャッフルからパワナイへ]
では問題!ユーキの初企画のタイトルは?
この質問に対し、『パワーナイトエクスプレス1号』と答える人も多いのではないでしょうか?
しかしそれは間違いで、ユーキ初企画は『シャッフルエクスプレス』なのです。
ちなみにこのシャッフルエクスプレスもパワーナイトエクスプレスも1回目は
“1号”とは付きませんでした。
1回目が『シャッフルエクスプレス』で、2回目が『シャッフルエクスプレス2号』でした。
シャッフルエクスプレスはこの2回で終わりました。
このタイトルの意味ですが、バンドもアコースティックも打ち込みも、
ジャンルに関係なくごちゃ混ぜにしようという意味が込められています。
しかしシャッフルエクスプレス2号の時に、このイベントを2回で終わらせる事となる
ある事件が起きてしまいました。
その事件とは、この企画で一番盛り上がったであろうあるバンドの後に
アコースティックのアーティストが出たのですが、
その時に一部の観客の観戦マナーが良くなくて、
バンドとアコースティックが一緒に出演するイベントの難しさや問題点が浮き彫りになったのです。
そして自分の出した結論は、バンドとアコースティックを別々のイベントに分けることでした。
バンド中心のイベントを『パワーナイトエクスプレス』として、
アコースティックのイベントを『スウィートメロディー』としました。
ただ、パワナイは決してバンド限定という訳ではありません。
ユーキ自身もバンドではありませんが、
バンドに混ざって出ても迫力や盛り上がりで負けないようなアーティスト、
お客さんの力である程度盛り上がりそうなアーティストに限って、
アコースティックでもパワナイに呼ぶことがあります。
また、スウィートメロディーは基本的にはユーキ自身は企画だけで
出演しないイベントとして始めましたが、
長野のライブハウスJで開催した1回だけは自らも出演しました。
[脱あーた]
シャッフル時代の2回のイベントには『あーた』に出演してもらい、トリを任せましたが、
シャッフル2号の直後にあーたが活動休止となり(事実上の活動終了)、
それまではあーたの恩恵でそこそこの集客を誇ってきたユーキ企画でしたが、
あーた抜きで、初めて1人のユーキというアーティスト(?)として自立して挑んだ
2004年10月に開催した『パワーナイトエクスプレス』(JUNK BOX)では、
イベンターとしてアーティストとして初めての挫折を味わいました。
その時にあーたの偉大さ、自分のあーたへの依存度の高さを実感しました。
[引退の危機]
ライブデビューから2年3ヶ月後の2006年3月にALECXでパワナイ3号を開催しました。
このパワナイ3号では、バンドの出演する自主企画としては5回目にして初めて、
自分がトリを務めました。
それまでの4回はトップでした。
歌や打ち込みの技術はともかく、会場を盛り上げるという事では
それなりの自信がついてきていたので、そろそろトリでもいいかなと思い、トリをやりました。
しかしそのパワナイ3号に他のバンド目当てで来てくれたあーた繋がりの複数の知り合いの人が、
ユーキのライブを観ずに帰ってしまい、その事がすごくショックでした。
それがきっかけで、「自分がライブを続けていても意味がないのではないか」と思うようになり、
その判断をお客さんに託すという“引退を賭けたライブ”を同年6月に決行。
ルールは、松本と長野でそれぞれ通常ブッキングライブに出演し、
ユーキ目当てのお客さんの数が2会場合計で15人に満たなかったら引退、
15人以上だったら活動続行というものでした。
その結果、活動を続行することになりました。
[脱高校生]
パワナイでは3号から10号までの8回連続で、
ワンマンのオープニングアクトも含めれば
9回連続で高校生バンドに出演してもらいました。
元々高校生バンドを呼ぶようになった理由は、
若いお客さんも沢山呼びたかったからです。
ちなみに、企画に呼んだ高校生バンドのほとんどが、
それまで全く面識が無かったのに声をかけました。
しかし自分の年齢を考えると、いつまでも高校生に依存していてはいけないと思い、
全く面識のない高校生バンドを企画に呼ぶのはやめようと思うようになりました。
そして先日のパワナイ11号は、9回ぶりに高校生バンドの出演しない自主企画だったのです。
では問題!ユーキの初企画のタイトルは?
この質問に対し、『パワーナイトエクスプレス1号』と答える人も多いのではないでしょうか?
しかしそれは間違いで、ユーキ初企画は『シャッフルエクスプレス』なのです。
ちなみにこのシャッフルエクスプレスもパワーナイトエクスプレスも1回目は
“1号”とは付きませんでした。
1回目が『シャッフルエクスプレス』で、2回目が『シャッフルエクスプレス2号』でした。
シャッフルエクスプレスはこの2回で終わりました。
このタイトルの意味ですが、バンドもアコースティックも打ち込みも、
ジャンルに関係なくごちゃ混ぜにしようという意味が込められています。
しかしシャッフルエクスプレス2号の時に、このイベントを2回で終わらせる事となる
ある事件が起きてしまいました。
その事件とは、この企画で一番盛り上がったであろうあるバンドの後に
アコースティックのアーティストが出たのですが、
その時に一部の観客の観戦マナーが良くなくて、
バンドとアコースティックが一緒に出演するイベントの難しさや問題点が浮き彫りになったのです。
そして自分の出した結論は、バンドとアコースティックを別々のイベントに分けることでした。
バンド中心のイベントを『パワーナイトエクスプレス』として、
アコースティックのイベントを『スウィートメロディー』としました。
ただ、パワナイは決してバンド限定という訳ではありません。
ユーキ自身もバンドではありませんが、
バンドに混ざって出ても迫力や盛り上がりで負けないようなアーティスト、
お客さんの力である程度盛り上がりそうなアーティストに限って、
アコースティックでもパワナイに呼ぶことがあります。
また、スウィートメロディーは基本的にはユーキ自身は企画だけで
出演しないイベントとして始めましたが、
長野のライブハウスJで開催した1回だけは自らも出演しました。
[脱あーた]
シャッフル時代の2回のイベントには『あーた』に出演してもらい、トリを任せましたが、
シャッフル2号の直後にあーたが活動休止となり(事実上の活動終了)、
それまではあーたの恩恵でそこそこの集客を誇ってきたユーキ企画でしたが、
あーた抜きで、初めて1人のユーキというアーティスト(?)として自立して挑んだ
2004年10月に開催した『パワーナイトエクスプレス』(JUNK BOX)では、
イベンターとしてアーティストとして初めての挫折を味わいました。
その時にあーたの偉大さ、自分のあーたへの依存度の高さを実感しました。
[引退の危機]
ライブデビューから2年3ヶ月後の2006年3月にALECXでパワナイ3号を開催しました。
このパワナイ3号では、バンドの出演する自主企画としては5回目にして初めて、
自分がトリを務めました。
それまでの4回はトップでした。
歌や打ち込みの技術はともかく、会場を盛り上げるという事では
それなりの自信がついてきていたので、そろそろトリでもいいかなと思い、トリをやりました。
しかしそのパワナイ3号に他のバンド目当てで来てくれたあーた繋がりの複数の知り合いの人が、
ユーキのライブを観ずに帰ってしまい、その事がすごくショックでした。
それがきっかけで、「自分がライブを続けていても意味がないのではないか」と思うようになり、
その判断をお客さんに託すという“引退を賭けたライブ”を同年6月に決行。
ルールは、松本と長野でそれぞれ通常ブッキングライブに出演し、
ユーキ目当てのお客さんの数が2会場合計で15人に満たなかったら引退、
15人以上だったら活動続行というものでした。
その結果、活動を続行することになりました。
[脱高校生]
パワナイでは3号から10号までの8回連続で、
ワンマンのオープニングアクトも含めれば
9回連続で高校生バンドに出演してもらいました。
元々高校生バンドを呼ぶようになった理由は、
若いお客さんも沢山呼びたかったからです。
ちなみに、企画に呼んだ高校生バンドのほとんどが、
それまで全く面識が無かったのに声をかけました。
しかし自分の年齢を考えると、いつまでも高校生に依存していてはいけないと思い、
全く面識のない高校生バンドを企画に呼ぶのはやめようと思うようになりました。
そして先日のパワナイ11号は、9回ぶりに高校生バンドの出演しない自主企画だったのです。
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ユーキ10年の歩み その1
今月22日にライブデビュー10周年記念イベントと銘打った自主企画を
行った訳ですが、ユーキのライブ活動の10年間を振り返ってみたいと思います。
[きっかけ]
自分は以前、プロの作曲家を目指していたので、オリジナル曲は何曲かありました。
しかし、それを披露する場はありませんでした。
会社の忘年会で1,2回披露させてもらったくらいで。
ちなみにその頃はまだ今のようにパソコンで曲を作っていた訳ではなく、
キーボードで作ったオケ(打ち込み音)でした。
しかも、ベースやギターのコードなんか全く解らなかったので、
今のライブで流しているオケとは比べ物にならないくらい酷いものでした。
その後、あるテレビCMがきっかけでパソコンを使った曲作り『DTM』を始め、
次第にベースコードというものが解ってきて、
キーボード時代とは比べ物にならないオケの仕上がりになってきました。
そしてある日、当時長野県内のバンド好きには少し有名だった、
会社の同期がボーカルをやっていたバンド『あーた』がインディーズで
全国デビューする事になったにも拘らず、バンドのホームページが無いことを知り、
個人のHPを持っていて少しはHP作成の知識があった自分が
『あーた』のHPを作らせてもらうことになりました。
でも正直言うとその最大の目的は、自分が『あーた』に楽曲を提供し、
『あーた』がもっと有名になれば、自分がプロの作曲家になれるかもしれないと考えたからです。
結局『あーた』への楽曲提供はなりませんでしたが。
『あーた』のHP管理人になってから1年近く経ってからだっただろうか?
HP管理人をやっているのにあーたのライブを観たことがなかったため、
掲示板でファンの人のコメントの返信に困ることが多くなってきたため、
正直言ってバンドには全く興味の無かった自分ですが、
あーたのライブを観に行ってみようという事になり、
それから観に行けるライブは必ず行くようになりました。
すると次第にあーた繋がりで音楽関係の知り合いが増えてきて、
「自分の好きなアーティストを集めて、自分で順番を決めて企画をやりたい!」
と思うようになってきました。
でもまだその頃は自分がステージに立とうとか立ちたいなんて事は全く思っていませんでした。
それからこの事に関してはちょっと記憶が曖昧なんですが、
先日の10周年企画の打ち上げの時のT.M.D.の石田さんの証言によると、
石田さんとあーたのボーカルがユーキにライブをやる事を勧めたとか。
正直言って勧められたという記憶はほとんどないのですが、
あーたのボーカルに、打ち込みという形でライブをやっている人もいるから、
作曲家を目指しているんだったらそういう事をやってみたら?的な事を
言われたことはあります。
あっ!それって勧められたってことですよね。
でもそれはまだあーたのHP管理人をやる前で、
石田さんとも知り合ってない時だったので、
石田さんがその事を知っている訳ありません。
それはともかく、石田さんには勧められた記憶はほとんどないんです。
ただ、石田さんが信大病院に入院されてお見舞いに行った際、自主企画をやってみたいという事と、
そのついでに自分もライブをやってみようかな的な事を相談したことはあります。
そんな訳で自主企画&初ライブをやる事になりました。
出来るだけお客さんを沢山集めたかったので、カレンダーを見てベストの日はいつかを考え、
学生が春休み中の3月がいいのではないかと思い、2004年3月20日にALECXを予約しました。
「あれ?初ライブは12月だったのでは?」と思った人もいるかもしれませんね。
当初はこの2004年3月20日が初ライブになる予定でした。
しかしその予約をしたのは前年2003年の8月頃の事だったのです。
そしてまだ半年以上先のユーキの初ライブの事を知ったある人から
「まだ先すぎて待ちきれない」と言われ、自分もその人のためにも
もう少し前にライブをやりたいと思いました。
また、自分が企画に呼びたいアーティストは1回の企画では収まりきらないくらい多かったので、
2004年の3月より前にも企画をやりたいと思い、
当時あーたの活動拠点でもあった長野市のCLUB JUNK BOXで2003年12月20日に
企画をやる事になり、それがユーキの初ライブとなったのでした。
自主企画をやりたいだけのために、その“ついで”に自分もライブをやることになったのですが、
当初は自分がステージに立つのは自主企画限定の予定でした。
打ち込み音に歌だけのライブがウケる訳ないと思っていたので。
しかしそれがウケてしまい、調子に乗ってその後もライブを続けるようになりました。
行った訳ですが、ユーキのライブ活動の10年間を振り返ってみたいと思います。
[きっかけ]
自分は以前、プロの作曲家を目指していたので、オリジナル曲は何曲かありました。
しかし、それを披露する場はありませんでした。
会社の忘年会で1,2回披露させてもらったくらいで。
ちなみにその頃はまだ今のようにパソコンで曲を作っていた訳ではなく、
キーボードで作ったオケ(打ち込み音)でした。
しかも、ベースやギターのコードなんか全く解らなかったので、
今のライブで流しているオケとは比べ物にならないくらい酷いものでした。
その後、あるテレビCMがきっかけでパソコンを使った曲作り『DTM』を始め、
次第にベースコードというものが解ってきて、
キーボード時代とは比べ物にならないオケの仕上がりになってきました。
そしてある日、当時長野県内のバンド好きには少し有名だった、
会社の同期がボーカルをやっていたバンド『あーた』がインディーズで
全国デビューする事になったにも拘らず、バンドのホームページが無いことを知り、
個人のHPを持っていて少しはHP作成の知識があった自分が
『あーた』のHPを作らせてもらうことになりました。
でも正直言うとその最大の目的は、自分が『あーた』に楽曲を提供し、
『あーた』がもっと有名になれば、自分がプロの作曲家になれるかもしれないと考えたからです。
結局『あーた』への楽曲提供はなりませんでしたが。
『あーた』のHP管理人になってから1年近く経ってからだっただろうか?
HP管理人をやっているのにあーたのライブを観たことがなかったため、
掲示板でファンの人のコメントの返信に困ることが多くなってきたため、
正直言ってバンドには全く興味の無かった自分ですが、
あーたのライブを観に行ってみようという事になり、
それから観に行けるライブは必ず行くようになりました。
すると次第にあーた繋がりで音楽関係の知り合いが増えてきて、
「自分の好きなアーティストを集めて、自分で順番を決めて企画をやりたい!」
と思うようになってきました。
でもまだその頃は自分がステージに立とうとか立ちたいなんて事は全く思っていませんでした。
それからこの事に関してはちょっと記憶が曖昧なんですが、
先日の10周年企画の打ち上げの時のT.M.D.の石田さんの証言によると、
石田さんとあーたのボーカルがユーキにライブをやる事を勧めたとか。
正直言って勧められたという記憶はほとんどないのですが、
あーたのボーカルに、打ち込みという形でライブをやっている人もいるから、
作曲家を目指しているんだったらそういう事をやってみたら?的な事を
言われたことはあります。
あっ!それって勧められたってことですよね。
でもそれはまだあーたのHP管理人をやる前で、
石田さんとも知り合ってない時だったので、
石田さんがその事を知っている訳ありません。
それはともかく、石田さんには勧められた記憶はほとんどないんです。
ただ、石田さんが信大病院に入院されてお見舞いに行った際、自主企画をやってみたいという事と、
そのついでに自分もライブをやってみようかな的な事を相談したことはあります。
そんな訳で自主企画&初ライブをやる事になりました。
出来るだけお客さんを沢山集めたかったので、カレンダーを見てベストの日はいつかを考え、
学生が春休み中の3月がいいのではないかと思い、2004年3月20日にALECXを予約しました。
「あれ?初ライブは12月だったのでは?」と思った人もいるかもしれませんね。
当初はこの2004年3月20日が初ライブになる予定でした。
しかしその予約をしたのは前年2003年の8月頃の事だったのです。
そしてまだ半年以上先のユーキの初ライブの事を知ったある人から
「まだ先すぎて待ちきれない」と言われ、自分もその人のためにも
もう少し前にライブをやりたいと思いました。
また、自分が企画に呼びたいアーティストは1回の企画では収まりきらないくらい多かったので、
2004年の3月より前にも企画をやりたいと思い、
当時あーたの活動拠点でもあった長野市のCLUB JUNK BOXで2003年12月20日に
企画をやる事になり、それがユーキの初ライブとなったのでした。
自主企画をやりたいだけのために、その“ついで”に自分もライブをやることになったのですが、
当初は自分がステージに立つのは自主企画限定の予定でした。
打ち込み音に歌だけのライブがウケる訳ないと思っていたので。
しかしそれがウケてしまい、調子に乗ってその後もライブを続けるようになりました。
新さんとコラボ
先日の10周年記念企画の時にアンコールで山本新さんと
コラボをしたのですが、その時の動画です。
https://www.youtube.com/watch?v=TIyYhvj3jas
何故『おやきの歌』になったのかといいますと、
新さん本人にどの曲がいいか訊いたところ、この曲を希望されました。
新さんとおやきでちょっと思い出すことがあるのですが、
以前、新さんが長野のスカイでライブをされた時に自分は車で観に行ったのですが、
その途中の道の駅で差し入れとして新さんにおやきを2個(3個だったかな?)
買って行きました。
そこのおやきは自分が今まで食べたおやきの中では一番好きで
(といっても今までそれほど多くの店のおやきを食べた訳ではないが)、
皮の厚さや硬さが自分的には一番理想的なおやきだと思っています。
そのおやきを新さんは京都へ帰ってから温めて食べたそうなんですが、
それはもしかして『おやきの歌』の歌詞に「あったかいのが美味しいんだよ」
と入っているためにそうしたのかと思い、あの歌詞に少し反省をしました。
だって温かくなくたって美味しいので!
それにレンジで温め直したら、焼きおやき特有のあの食感が無くなってしまいます!
コラボをしたのですが、その時の動画です。
https://www.youtube.com/watch?v=TIyYhvj3jas
何故『おやきの歌』になったのかといいますと、
新さん本人にどの曲がいいか訊いたところ、この曲を希望されました。
新さんとおやきでちょっと思い出すことがあるのですが、
以前、新さんが長野のスカイでライブをされた時に自分は車で観に行ったのですが、
その途中の道の駅で差し入れとして新さんにおやきを2個(3個だったかな?)
買って行きました。
そこのおやきは自分が今まで食べたおやきの中では一番好きで
(といっても今までそれほど多くの店のおやきを食べた訳ではないが)、
皮の厚さや硬さが自分的には一番理想的なおやきだと思っています。
そのおやきを新さんは京都へ帰ってから温めて食べたそうなんですが、
それはもしかして『おやきの歌』の歌詞に「あったかいのが美味しいんだよ」
と入っているためにそうしたのかと思い、あの歌詞に少し反省をしました。
だって温かくなくたって美味しいので!
それにレンジで温め直したら、焼きおやき特有のあの食感が無くなってしまいます!
猫舌君
22日の10周年記念ライブの時に新曲『猫舌君』を初披露しました。
歌詞にまだかなりの不安があったため、カンペを見ながら歌いました。
この曲は暗めのカッコイイ系の曲(だと自分では思っている)なのですが、
当初の構想では楽しい感じのメロディーにするつもりでした。
しかし楽しい系で良いメロディーが思い浮かばず、
次第にライブの日が近付いてきて、そんな時にあのメロディーが浮かんできて、
方向性を変えて暗め&カッコイイ系のメロディーにしました。
今回の企画を振り返ってみると、細かい事を言ったらキリがないけど、
自分的には大成功といってもいいくらいの良いイベントだったと思います。
このところ自主企画では入場者数50人を超えられないイベントが続いていましたが、
今回の企画では5号の時以来6回ぶりに50人、60人越えをしました。
ただ、自分が10年前にライブと企画を始めた時からの夢である
100人越えイベントへの道は甘くないですね。
自分のライブを振り返ると、歌詞に関してはほぼ大丈夫だったと思いますが、
『鉄道おっくん』と『それゆけ!きしめん!』で振りを間違えてしまいました。
細かいミスだったら他にももっとあります。
一言で言うと今回のライブでは完全な練習不足でした。
ライブ前日の土曜日は仕事で、仕事の後にもある用事があって帰りが遅かったこともあり、
今回は『猫舌君』以外の振り練習はほとんどしていませんでした。
あと、今回はアンコール以外では7曲披露で、7曲の時はいつもどこかで
2曲連続でやるのですが、今回は全ての曲間にMCを挟みました。
それは体力を回復させるためだったのですが、
ちょっとMCが無駄に長かったかもしれないですね。
Wアンコールを含め、45~50分も使ってしまったので。
企画者という事で長くても多少は許されますが、
あんなにグダグダやっていたらお客さんも疲れてしまいますよね。
次回のライブは大晦日のIndia Live The Skyのカウントダウンライブです。
年末年始の予定は他に、1月2,3日に名古屋へ行ってきます。
歌詞にまだかなりの不安があったため、カンペを見ながら歌いました。
この曲は暗めのカッコイイ系の曲(だと自分では思っている)なのですが、
当初の構想では楽しい感じのメロディーにするつもりでした。
しかし楽しい系で良いメロディーが思い浮かばず、
次第にライブの日が近付いてきて、そんな時にあのメロディーが浮かんできて、
方向性を変えて暗め&カッコイイ系のメロディーにしました。
今回の企画を振り返ってみると、細かい事を言ったらキリがないけど、
自分的には大成功といってもいいくらいの良いイベントだったと思います。
このところ自主企画では入場者数50人を超えられないイベントが続いていましたが、
今回の企画では5号の時以来6回ぶりに50人、60人越えをしました。
ただ、自分が10年前にライブと企画を始めた時からの夢である
100人越えイベントへの道は甘くないですね。
自分のライブを振り返ると、歌詞に関してはほぼ大丈夫だったと思いますが、
『鉄道おっくん』と『それゆけ!きしめん!』で振りを間違えてしまいました。
細かいミスだったら他にももっとあります。
一言で言うと今回のライブでは完全な練習不足でした。
ライブ前日の土曜日は仕事で、仕事の後にもある用事があって帰りが遅かったこともあり、
今回は『猫舌君』以外の振り練習はほとんどしていませんでした。
あと、今回はアンコール以外では7曲披露で、7曲の時はいつもどこかで
2曲連続でやるのですが、今回は全ての曲間にMCを挟みました。
それは体力を回復させるためだったのですが、
ちょっとMCが無駄に長かったかもしれないですね。
Wアンコールを含め、45~50分も使ってしまったので。
企画者という事で長くても多少は許されますが、
あんなにグダグダやっていたらお客さんも疲れてしまいますよね。
次回のライブは大晦日のIndia Live The Skyのカウントダウンライブです。
年末年始の予定は他に、1月2,3日に名古屋へ行ってきます。
パワナイ11号
昨日はALECXで自主企画
【パワーナイトエクスプレス11号 ~ユーキライブデビュー10周年記念イベント~】
でした。
今までサプライズ的な事をやってもらった経験の無かった自分にとって、
楽屋の祝福メッセージ、ALECXのスタッフさんと来てくれたお客さんからの
ステージ衣装用特製ユニフォームのプレゼント、
お客さんからの花束贈呈や差し入れなど、忘れられない1日になりました。



1組目は塩尻駅前軽音部。
この日のためにオリジナル曲の歌詞をユーキに当てはめた曲を
サプライズで披露してくれて感激しました!

2組目はワイワイボーイズ。
現在、メンバーが飯田と名古屋で離れているためになかなかライブが
出来ないのですが、久しぶりに生でワイワイボーイズの演奏が聴けて興奮しました!

3組目は京都から来てくれた山本新さん。
定番曲から新曲まで楽しいライブショーを披露し、初めて新さんを観た人も釘付けに!
最後はアンコールも起こり、もう1曲披露しました。

4組目はニイタカヤマ。
毎回熱いライブをするニイタカヤマですが、この日はいつも以上に熱かったです!
ちなみにニイタカヤマの時のお客さんの散らばり具合がとても理想的でした。

5組目はT.M.D.。
クリスマス直前という事でクリスマスの曲も披露。
毎回恒例の朗読ショーで笑いも誘いつつ、演奏では息の合った素敵な演奏を聴かせてくれました。

そしてユーキはトリの6組目でした。
セットリストは
①信濃忍者
②鉄道おっくん
③GO-HEY!
④それゆけ!きしめん!
⑤尾張七代藩主・徳川宗春
⑥猫舌君
⑦信州人
(EN1)おやきの歌(山本新さんとのコラボ)
(EN2)信濃忍者
6曲目には新曲『猫舌君』を歌詞を見ながら披露。
アンコールでは山本新さんとのコラボで『おやきの歌』を披露。
そしてダブルアンコールで、多数決の結果、『信濃忍者』をもう一度披露。
アンコールの登場時にはお客さんから花束をいただきました。
人生初の花束!!

自分のやりたい事を10年続けているだけなのに、
“10周年記念イベント”と謳ったために色んなお祝いをしていただき、
感謝の気持ちと同時に申し訳ない気持ちにもなりました。
ライブ後は隣のスコールで15人参加で打ち上げを行い、
帰宅したのは午前4時過ぎでした。
【パワーナイトエクスプレス11号 ~ユーキライブデビュー10周年記念イベント~】
でした。
今までサプライズ的な事をやってもらった経験の無かった自分にとって、
楽屋の祝福メッセージ、ALECXのスタッフさんと来てくれたお客さんからの
ステージ衣装用特製ユニフォームのプレゼント、
お客さんからの花束贈呈や差し入れなど、忘れられない1日になりました。



1組目は塩尻駅前軽音部。
この日のためにオリジナル曲の歌詞をユーキに当てはめた曲を
サプライズで披露してくれて感激しました!

2組目はワイワイボーイズ。
現在、メンバーが飯田と名古屋で離れているためになかなかライブが
出来ないのですが、久しぶりに生でワイワイボーイズの演奏が聴けて興奮しました!

3組目は京都から来てくれた山本新さん。
定番曲から新曲まで楽しいライブショーを披露し、初めて新さんを観た人も釘付けに!
最後はアンコールも起こり、もう1曲披露しました。

4組目はニイタカヤマ。
毎回熱いライブをするニイタカヤマですが、この日はいつも以上に熱かったです!
ちなみにニイタカヤマの時のお客さんの散らばり具合がとても理想的でした。

5組目はT.M.D.。
クリスマス直前という事でクリスマスの曲も披露。
毎回恒例の朗読ショーで笑いも誘いつつ、演奏では息の合った素敵な演奏を聴かせてくれました。

そしてユーキはトリの6組目でした。
セットリストは
①信濃忍者
②鉄道おっくん
③GO-HEY!
④それゆけ!きしめん!
⑤尾張七代藩主・徳川宗春
⑥猫舌君
⑦信州人
(EN1)おやきの歌(山本新さんとのコラボ)
(EN2)信濃忍者
6曲目には新曲『猫舌君』を歌詞を見ながら披露。
アンコールでは山本新さんとのコラボで『おやきの歌』を披露。
そしてダブルアンコールで、多数決の結果、『信濃忍者』をもう一度披露。
アンコールの登場時にはお客さんから花束をいただきました。
人生初の花束!!

自分のやりたい事を10年続けているだけなのに、
“10周年記念イベント”と謳ったために色んなお祝いをしていただき、
感謝の気持ちと同時に申し訳ない気持ちにもなりました。
ライブ後は隣のスコールで15人参加で打ち上げを行い、
帰宅したのは午前4時過ぎでした。
カズボ結婚式2次会&a.C
14日の夜は、22日のユーキ10周年記念企画の出演者でもある
『塩尻駅前軽音部』のボーカルのカズボさんの結婚式2次会がありました。
カズボさんとは知り合って(連絡先を交換して)からまだ1年くらいしか経っていませんが、
ユーキライブではお客さんとして盛り上げてくれたり、
10月に行われた塩尻駅前軽音部企画のライブに呼んでくれたりと、
この1年で急激に距離が縮まった人の1人です。
一方の奥さん(あきちゃん)はハルフルズのトランペット担当で、
一昨年の8月(練習はその2,3ヶ月前から)にハルフルズとユーキが
『信濃忍者』のコラボをした時からの知り合いなので、
カズボさんより長い付き合いなのです。
そんなカズボさんとあきちゃんが付き合うきっかけとなったのは、
恐らく去年の1月に行われたハルフルズの新年会の時だと思います。
その頃は自分はまだカズボさんの事を全く知らなかった
(何となく見たことはあるかな?程度)のですが、
その新年会の時にまだお互いの事を知らなかったカズボさんが
あきちゃんの事を「可愛い~」と何回も言っていたのを覚えています。
その数ヶ月後に2人が付き合っていることを知りました。
前振りが長くなってしまいましたが、その2人の結婚式2次会が
19:30からモールホールの4階の店であったのですが、
この日はa.Cで『Y氏と隣人』が出るライブがあったので、
それも観に行きたかったのです。
ライブは当初は18時スタート予定でY氏と隣人の出番は2番目だという事で、
ギリギリ観れると思い、a.CでY氏と隣人まで観てから結婚式2次会へ行くことに。
しかしa.Cへ行ってみると予期せぬ事態が!
出演者の1組が出られなくなったようで、スタート時間が30分遅くなっていて
18:30スタートに変わっていたのです。
その時点で19:30には間に合わないと思いました。
Y氏と隣人が終わってから軽く走って結婚式2次会会場へ。
着いたのは20時頃でした。
2次会では塩尻駅前軽音部などのライブもあり、
22時前に会場を出て再びa.Cへ。
a.Cのライブはそろそろ終わりだろうと思っていましたが、
それでも再び行った最大の理由は、このライブで1番目に出た
『推定少女』のCDを買うためです。
推定少女のライブは今までに何度か観たことがあり、
ちょっと気になっていたのです。
でも全く面識が無かったので、CDを買った時に自分の事を軽く紹介しました。
『塩尻駅前軽音部』のボーカルのカズボさんの結婚式2次会がありました。
カズボさんとは知り合って(連絡先を交換して)からまだ1年くらいしか経っていませんが、
ユーキライブではお客さんとして盛り上げてくれたり、
10月に行われた塩尻駅前軽音部企画のライブに呼んでくれたりと、
この1年で急激に距離が縮まった人の1人です。
一方の奥さん(あきちゃん)はハルフルズのトランペット担当で、
一昨年の8月(練習はその2,3ヶ月前から)にハルフルズとユーキが
『信濃忍者』のコラボをした時からの知り合いなので、
カズボさんより長い付き合いなのです。
そんなカズボさんとあきちゃんが付き合うきっかけとなったのは、
恐らく去年の1月に行われたハルフルズの新年会の時だと思います。
その頃は自分はまだカズボさんの事を全く知らなかった
(何となく見たことはあるかな?程度)のですが、
その新年会の時にまだお互いの事を知らなかったカズボさんが
あきちゃんの事を「可愛い~」と何回も言っていたのを覚えています。
その数ヶ月後に2人が付き合っていることを知りました。
前振りが長くなってしまいましたが、その2人の結婚式2次会が
19:30からモールホールの4階の店であったのですが、
この日はa.Cで『Y氏と隣人』が出るライブがあったので、
それも観に行きたかったのです。
ライブは当初は18時スタート予定でY氏と隣人の出番は2番目だという事で、
ギリギリ観れると思い、a.CでY氏と隣人まで観てから結婚式2次会へ行くことに。
しかしa.Cへ行ってみると予期せぬ事態が!
出演者の1組が出られなくなったようで、スタート時間が30分遅くなっていて
18:30スタートに変わっていたのです。
その時点で19:30には間に合わないと思いました。
Y氏と隣人が終わってから軽く走って結婚式2次会会場へ。
着いたのは20時頃でした。
2次会では塩尻駅前軽音部などのライブもあり、
22時前に会場を出て再びa.Cへ。
a.Cのライブはそろそろ終わりだろうと思っていましたが、
それでも再び行った最大の理由は、このライブで1番目に出た
『推定少女』のCDを買うためです。
推定少女のライブは今までに何度か観たことがあり、
ちょっと気になっていたのです。
でも全く面識が無かったので、CDを買った時に自分の事を軽く紹介しました。
あと2週間!
ユーキ10周年記念の自主企画まであと2週間しかありません。
2週間“しか”というのは、現在新曲を作っているのですが、
それをあと2週間でライブで披露できるようになるにはかなり無理があるからです。
自分の場合、新曲を作って歌の練習を始めてからライブでまともに
歌えるようになるには最低3週間は必要なので。
1週間や2週間の練習でライブに挑んだこともありますが、
結果は歌詞が飛びまくるという有様でした。
そういえば、出演予定だったToriqumoが出れなくなってしまい、
新たにワイワイボーイズの出演が決まりました。
実はToriqumoのあるメンバーがワイワイボーイズの
ダンボールを被ったドラマーだったりするのです。
ワイワイボーイズはあまりライブをやらないので、
ライブ自体まだ2、3回しか観たことがないのですが、
楽曲やボーカルの歌声というか歌の世界観が大好きなので、
今回自分の企画で久しぶりにワイワイボーイズが観れるので嬉しいです。
2週間“しか”というのは、現在新曲を作っているのですが、
それをあと2週間でライブで披露できるようになるにはかなり無理があるからです。
自分の場合、新曲を作って歌の練習を始めてからライブでまともに
歌えるようになるには最低3週間は必要なので。
1週間や2週間の練習でライブに挑んだこともありますが、
結果は歌詞が飛びまくるという有様でした。
そういえば、出演予定だったToriqumoが出れなくなってしまい、
新たにワイワイボーイズの出演が決まりました。
実はToriqumoのあるメンバーがワイワイボーイズの
ダンボールを被ったドラマーだったりするのです。
ワイワイボーイズはあまりライブをやらないので、
ライブ自体まだ2、3回しか観たことがないのですが、
楽曲やボーカルの歌声というか歌の世界観が大好きなので、
今回自分の企画で久しぶりにワイワイボーイズが観れるので嬉しいです。
邦楽の夜
昨夜は松本のSONICで行われたクラブイベント【邦楽の夜】にライブで出演させていただきました。
今回のライブは自分自身ではライブ告知を全くしていません。
その理由はと言いますと、今月22日のユーキ10周年記念の自主企画でのモチベーションを高めるため、自主企画にお客さんを集中させるため、10月のモールホールでのライブ以降は自主企画までの間、松本ではライブを入れないつもりでいました。
そんな中、今まで何回もユーキをクラブイベントのゲストとして呼んでくれたDJのあみさん(あみーごす)が今回のイベントにも誘ってくれて、自主企画の宣伝として2曲ほど披露させてもらうつもりだったのですが、SONICスタッフの卓郎さんがあみさんの出番の時のゲストとしてではなく、通常の出演者としてライブをして欲しいと頼まれ、普段のライブより少ない4曲だったらという事で、出演させていただきました。
イベントは21時にスタートし、ユーキの出番は23:15からでした。
ライブの方はあみさんにCDを流してもらって、クラブイベントとしては初めて自分のワイヤレスマイクを持参してライブをしました。
セットリストは
①おやきの歌
②GO-HEY!
③尾張七代藩主・徳川宗春
④信州人
(EN)信濃忍者
写真は、またまた松本に帰って来ていたTHE NAMPA BOYSボーカルの聡里君がツイッターに載せたものを勝手に貰ってきたものです。

今回のライブは自分自身ではライブ告知を全くしていません。
その理由はと言いますと、今月22日のユーキ10周年記念の自主企画でのモチベーションを高めるため、自主企画にお客さんを集中させるため、10月のモールホールでのライブ以降は自主企画までの間、松本ではライブを入れないつもりでいました。
そんな中、今まで何回もユーキをクラブイベントのゲストとして呼んでくれたDJのあみさん(あみーごす)が今回のイベントにも誘ってくれて、自主企画の宣伝として2曲ほど披露させてもらうつもりだったのですが、SONICスタッフの卓郎さんがあみさんの出番の時のゲストとしてではなく、通常の出演者としてライブをして欲しいと頼まれ、普段のライブより少ない4曲だったらという事で、出演させていただきました。
イベントは21時にスタートし、ユーキの出番は23:15からでした。
ライブの方はあみさんにCDを流してもらって、クラブイベントとしては初めて自分のワイヤレスマイクを持参してライブをしました。
セットリストは
①おやきの歌
②GO-HEY!
③尾張七代藩主・徳川宗春
④信州人
(EN)信濃忍者
写真は、またまた松本に帰って来ていたTHE NAMPA BOYSボーカルの聡里君がツイッターに載せたものを勝手に貰ってきたものです。

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