初めての人間ドック
人生で初めて人間ドックを受けてきました。
会社では30歳以上の人は会社で行う健康診断か仕事を休んで病院で行う
人間ドックかを選べるのですが、今まではずっと健康診断で済ましていたのです。
今まで人間ドックをやらなかった最大の理由は胃カメラ(内視鏡検査)が
嫌だったからです。
というのは、中学の時にある教科の先生が胃カメラの話をしたのですが、
その先生曰く「死んだ方がまだマシと思えるくらい辛かった」と言っていたのです。
それ以来『胃カメラ=死ぬほど辛いもの』という認識になりました。
そんな自分が胃カメラを含む人間ドックを受けようと思った理由は、
会社の健康診断の場合、診察を受けている間自分の作業を他の人に
変わってもらわなくてはいけなくて、それがその人にとって負担になるからです。
それだったら人間ドックだったら仕事を休めるので逆に美味しいかなと。
あと当時と比べれば胃カメラの苦しさも低減していると思いますし。
そして実際に内視鏡検査を受けてみて、思ったほど辛くはありませんでした。
最初に喉に麻酔のスプレーを数回吹きかけられ、それを飲み込んで胃の中まで
麻酔を効かせてから内視鏡カメラを入れました。
事前に職員の方から「麻酔を吹き付けてもどうしてもオエッてなってしまいますが
そういうものだと思って我慢してください」みたいな“脅し”があったのですが、
実際にはオエッとは一度もなりませんでした。
多少苦しかったですが。
会社では30歳以上の人は会社で行う健康診断か仕事を休んで病院で行う
人間ドックかを選べるのですが、今まではずっと健康診断で済ましていたのです。
今まで人間ドックをやらなかった最大の理由は胃カメラ(内視鏡検査)が
嫌だったからです。
というのは、中学の時にある教科の先生が胃カメラの話をしたのですが、
その先生曰く「死んだ方がまだマシと思えるくらい辛かった」と言っていたのです。
それ以来『胃カメラ=死ぬほど辛いもの』という認識になりました。
そんな自分が胃カメラを含む人間ドックを受けようと思った理由は、
会社の健康診断の場合、診察を受けている間自分の作業を他の人に
変わってもらわなくてはいけなくて、それがその人にとって負担になるからです。
それだったら人間ドックだったら仕事を休めるので逆に美味しいかなと。
あと当時と比べれば胃カメラの苦しさも低減していると思いますし。
そして実際に内視鏡検査を受けてみて、思ったほど辛くはありませんでした。
最初に喉に麻酔のスプレーを数回吹きかけられ、それを飲み込んで胃の中まで
麻酔を効かせてから内視鏡カメラを入れました。
事前に職員の方から「麻酔を吹き付けてもどうしてもオエッてなってしまいますが
そういうものだと思って我慢してください」みたいな“脅し”があったのですが、
実際にはオエッとは一度もなりませんでした。
多少苦しかったですが。
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パソコンの買い替え
この日は歩きに行く予定で朝5時半に起きて朝食も食べたのですが、
テレビで天気予報を見たら雨が降る予報になっていたため予定を中止し、
来年1月で使っているパソコンのOSのサポートが終了するため、
パソコンを買い替えに行くことになりました。
ちなみに前日の夜の天気予報ではこの日の降水確率は20%で雨は大丈夫
だろうと思っていたのに…。
今まで使っていたパソコンは約10年使っていて、『尾張七代藩主・徳川宗春』以降に
作った曲は全てそのパソコンを使って作った曲です。
新しいパソコンでも多くの人気曲を作っていきたいです。
ただ、自分自身ライブを続けられる体力があと何年持つのかという話ですが。
話は変わりますが、1週間前の12月4日の話を少し書きます。
この日は夕方のワクチン接種以外特に予定が無くて、それまでの時間
南松本のネットカフェでのんびりと過ごそうと思っていたのですが、
昼間に諏訪湖畔の野外ステージで7月に開催した自主企画の出演者でもある
折井あゆなさん(Noisy Noiseのドラムとして出演)と、
一度観てみたいと思っていたアイドルユニット『おバカツインズ』が
出演するライブがあると当日の午前中に知り、急遽予定を変更して車で
上諏訪へ行ってきました。
このイベントではイベント終了後にみんなで諏訪湖のゴミ拾いをするという活動を
行っていて(強制ではない)、自分も参加しました。
渡された小さいビニール袋がすぐにいっぱいになるほど沢山のゴミが落ちていました。
また、菱の実も沢山落ちていました。
菱の実とはトゲトゲした実で、昔忍者が追い手から逃げるために道に撒いた
いわゆる『撒菱』として使われていたそうです。
そんな菱の実がゴミのマスクにいくつも絡みついていて取るのに苦労しました。
テレビで天気予報を見たら雨が降る予報になっていたため予定を中止し、
来年1月で使っているパソコンのOSのサポートが終了するため、
パソコンを買い替えに行くことになりました。
ちなみに前日の夜の天気予報ではこの日の降水確率は20%で雨は大丈夫
だろうと思っていたのに…。
今まで使っていたパソコンは約10年使っていて、『尾張七代藩主・徳川宗春』以降に
作った曲は全てそのパソコンを使って作った曲です。
新しいパソコンでも多くの人気曲を作っていきたいです。
ただ、自分自身ライブを続けられる体力があと何年持つのかという話ですが。
話は変わりますが、1週間前の12月4日の話を少し書きます。
この日は夕方のワクチン接種以外特に予定が無くて、それまでの時間
南松本のネットカフェでのんびりと過ごそうと思っていたのですが、
昼間に諏訪湖畔の野外ステージで7月に開催した自主企画の出演者でもある
折井あゆなさん(Noisy Noiseのドラムとして出演)と、
一度観てみたいと思っていたアイドルユニット『おバカツインズ』が
出演するライブがあると当日の午前中に知り、急遽予定を変更して車で
上諏訪へ行ってきました。
このイベントではイベント終了後にみんなで諏訪湖のゴミ拾いをするという活動を
行っていて(強制ではない)、自分も参加しました。
渡された小さいビニール袋がすぐにいっぱいになるほど沢山のゴミが落ちていました。
また、菱の実も沢山落ちていました。
菱の実とはトゲトゲした実で、昔忍者が追い手から逃げるために道に撒いた
いわゆる『撒菱』として使われていたそうです。
そんな菱の実がゴミのマスクにいくつも絡みついていて取るのに苦労しました。
ワクチン1回目接種
新型コロナワクチン(ファイザー社製)の1回目の接種をしてきました。
接種会場は自宅から徒歩1分10秒の場所です。
接種から8時間経ちますが今のところ体調面での変化はありません。
接種翌日に発熱したという人の話も聞いているので、明日の仕事に支障が
出ないか少し不安もあります。
話は変わりますが、登山を本格的(自分の中で)に始めてから今年で4年目に
なりますが、7月に登った鹿島槍ヶ岳以降はあまり登山をする気にはなりません。
(先月の美ヶ原は登山ではなく『高原歩き』)
それは、鹿島槍の時は自分の体力で1日にこの距離と標高差の山行は可能なのか
という自分の限界に挑んだ登山だったので、それを成し遂げた達成感や脱力感、
それから山の怖さというのも感じているので、今はまだ次の登山に行こうという
気持ちにはならないのだと思います。
コロナ禍でライブ活動を休止中ですが、コロナ禍をきっかけに散策ウォーキングという
新たな趣味も加わり、また、寺巡りやパン屋巡りなどもしているため、
登山をしなくても休日に暇で困るという事はありません。
接種会場は自宅から徒歩1分10秒の場所です。
接種から8時間経ちますが今のところ体調面での変化はありません。
接種翌日に発熱したという人の話も聞いているので、明日の仕事に支障が
出ないか少し不安もあります。
話は変わりますが、登山を本格的(自分の中で)に始めてから今年で4年目に
なりますが、7月に登った鹿島槍ヶ岳以降はあまり登山をする気にはなりません。
(先月の美ヶ原は登山ではなく『高原歩き』)
それは、鹿島槍の時は自分の体力で1日にこの距離と標高差の山行は可能なのか
という自分の限界に挑んだ登山だったので、それを成し遂げた達成感や脱力感、
それから山の怖さというのも感じているので、今はまだ次の登山に行こうという
気持ちにはならないのだと思います。
コロナ禍でライブ活動を休止中ですが、コロナ禍をきっかけに散策ウォーキングという
新たな趣味も加わり、また、寺巡りやパン屋巡りなどもしているため、
登山をしなくても休日に暇で困るという事はありません。
初めての床屋
小学生の頃から30年以上ずっと同じ床屋へ通っていたのですが、
昨日(1/23)三十何年かぶりに別の床屋へ行きました。
その経緯を説明すると、
今の場所(塩尻市)に引っ越してきてからも車で25分ほどかけて以前住んでいた家の
近くの床屋へ通っていました。
それは、子供の頃からずっと慣れ親しんできた床屋だったので他の床屋へ
行く気にならなかったからです。
その床屋は夫婦で営んでいる床屋だったのですが、昨年9月に行った時はご主人
の1人しか居なくて、その時は奥さんはたまたま用事でもあって居ないだけだと
思っていたのですが、その次の昨年11月に行った時もご主人1人しか居なかったため、
奥さんは引退、もしくは病気か何かで長期休養しているのだと解釈しました。
また、年齢的にもう60歳を過ぎていると思われるご主人が1人きりでお店を切り盛り
している様子がとても大変そうに見え、その時に「これは床屋の変え時かな」と
思い、次回からは今住んでいる家の近所の床屋に変えようと思ったのです。
そして今回初めて今住んでいる家の近所の床屋へ行ってきました。
今まで行っていた床屋とは色々と違う面もあって戸惑いもありましたが、
次回からは抵抗なく行くことが出来ると思います。
昨日(1/23)三十何年かぶりに別の床屋へ行きました。
その経緯を説明すると、
今の場所(塩尻市)に引っ越してきてからも車で25分ほどかけて以前住んでいた家の
近くの床屋へ通っていました。
それは、子供の頃からずっと慣れ親しんできた床屋だったので他の床屋へ
行く気にならなかったからです。
その床屋は夫婦で営んでいる床屋だったのですが、昨年9月に行った時はご主人
の1人しか居なくて、その時は奥さんはたまたま用事でもあって居ないだけだと
思っていたのですが、その次の昨年11月に行った時もご主人1人しか居なかったため、
奥さんは引退、もしくは病気か何かで長期休養しているのだと解釈しました。
また、年齢的にもう60歳を過ぎていると思われるご主人が1人きりでお店を切り盛り
している様子がとても大変そうに見え、その時に「これは床屋の変え時かな」と
思い、次回からは今住んでいる家の近所の床屋に変えようと思ったのです。
そして今回初めて今住んでいる家の近所の床屋へ行ってきました。
今まで行っていた床屋とは色々と違う面もあって戸惑いもありましたが、
次回からは抵抗なく行くことが出来ると思います。
9連休終了
年末年始休みの9連休が終わってしまいました。
実はこの9日間一度も車を運転していません。
どこかに出掛けた時は何れも電車や徒歩でした。
9連休中何をしていたのかというと、
12/27 どこにも行かず
12/28 飯田線の旅1日目(豊川稲荷、豊橋、ラグーナ蒲郡)
12/29 飯田線の旅2日目(天龍峡、飯田)
12/30 どこにも行かず
12/31 歩いて近所のショッピングセンターへ
1/1 どこにも行かず
1/2 どこにも行かず
1/3 電車で松本へ
1/4 どこにも行かず
こんな感じの年末年始休みでした。
何と言っても飯田線の旅が一番大きな出来事でした。
昨年はコロナの影響であまり遠くへ行けない中、6月の飯田~中津川ウォーキングの
前泊以外では唯一の泊まりの旅行で、1年間名古屋へ行けなかった中で
豊橋という名古屋への通勤圏でもある都市で泊まることができ、
少しは名古屋へ行けない悔しさを晴らせたと思います。
あと、連休中に体重が3kg増えてしまいました。
家に居るとあまり体を動かさないので(ライブの振り付け練習はほぼ毎日やって
いましたが)、仕事をして体重を元に戻していきたいと思います。
実はこの9日間一度も車を運転していません。
どこかに出掛けた時は何れも電車や徒歩でした。
9連休中何をしていたのかというと、
12/27 どこにも行かず
12/28 飯田線の旅1日目(豊川稲荷、豊橋、ラグーナ蒲郡)
12/29 飯田線の旅2日目(天龍峡、飯田)
12/30 どこにも行かず
12/31 歩いて近所のショッピングセンターへ
1/1 どこにも行かず
1/2 どこにも行かず
1/3 電車で松本へ
1/4 どこにも行かず
こんな感じの年末年始休みでした。
何と言っても飯田線の旅が一番大きな出来事でした。
昨年はコロナの影響であまり遠くへ行けない中、6月の飯田~中津川ウォーキングの
前泊以外では唯一の泊まりの旅行で、1年間名古屋へ行けなかった中で
豊橋という名古屋への通勤圏でもある都市で泊まることができ、
少しは名古屋へ行けない悔しさを晴らせたと思います。
あと、連休中に体重が3kg増えてしまいました。
家に居るとあまり体を動かさないので(ライブの振り付け練習はほぼ毎日やって
いましたが)、仕事をして体重を元に戻していきたいと思います。